ぷにぷににくきゅう
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05/22/21:13 [PR] |
07/04/09:07 今回は日常編だけ。知ってる人も知らない人もいると思います。
実家に帰省して、昨夜…時間的にはぎりぎり日付変わったから今日なんだけど。 関東のお家に帰ってきました。 理由としては正直暗いです。 父親が亡くなりました。 老衰とかそういうものではなく、自宅で起こった事故で…です。 最初は実感も沸かず、逆に泣けるのかの心配したりもしました。 父は自宅の屋根から落ちたらしいです。 いつもと違う手順を踏み、足を滑らせ、落ちた…と。 いつもなら命綱を付け、屋根に上り、アンテナに綱をつけてから塗っていたそうです。 だけどその日は命綱をつけず、下(梯子の足元?)に置いたままだった。 命綱をつけていれば、落ちていても怪我で済んだでしょう。 今更言っても遅い真実。 いつもなら、屋根の流れが上から下にラインの入ったもので、そのラインに沿って上から下に塗っていたペンキ。 落ちた後を見たらラインに沿ってではなく、上から横一直線に塗っていたみたいです。 その上で垂れてきたペンキで滑ったのか、古いペンキをはがして粉末になったので滑ったのか分からないそうです。 ただ確かなのは滑ったあとがあるということ。 いくつもの『いつもと違う』行動によって起きた、事故でした。 姉が犬の散歩に行くときは一度屋根に上がっていて、そのときは命綱をつけていたようです。 散歩から帰って来るときには、一度屋根から降りていて、犬の心配などをしていたそうです。 そして犬を連れ、犬の朝ごはんの準備をしていたら叫び声と共に落ちる音がしたと。 急いで外に出ると父は血まみれで倒れており、被っていたヘルメットは割れ、中にあるクッション材?のようなものは外れて転がっていたらしい。 実際に見たら、ヘルメットには血がついていなかったので落ちて血が出る前に外れたのかなって印象を受けました。 家には姉一人、どうしようと焦っていると近所のおばあちゃんが近くの家に様子が変だと駆け込んだと聞きました。 その家もまた近所で、よくおかずとか貰ったり、逆に上げたりというあんまり今では見られないご近所付き合いをしている家で。 すぐに姉の元へ駆けつけ、心臓マッサージなどをしてくれたそうです。 血にまみれ、ペンキで汚れるのも厭わずやってくれたことに感謝以外言葉がありません。 心臓マッサージが行われると、肺に既に血が溜まっていたということもあり、ごぼごぼと喉から溢れてくるような状態だったそうです。 そんな状態を最初に発見し、救急車とパトカーを呼んで一緒に搬送されて。 死を看取った姉の精神が壊れないことを祈ります。 一緒にいたとしても、きっと取り乱します。 救急車すら呼べないかもしれません。 今回の件で、姉は病院に行くのを嫌がるようになりました。 親戚が帰ったあと、蕁麻疹を出してなかなか引けなくても行きたくないの一点張り。 仕方ないです、本当に数日前に嫌な思い出が出来たところだから。 その日の家に車で帰りました。 一緒に帰って貰いました。 線香をあげ、顔に乗った布一枚を寄せると見たことのない顔がありました。 顔が浮腫んで、大きくなったガーゼなどで顔や頭が隠れた父。 正直父や母が幼い頃からスキじゃなかったため、泣けないと思ってました。 でも嫌な思い出が思い出されても泣けるんですね。 一人のとき、姉がいるときだけは泣けました。 元々気が強いから人前であんまり泣けないんです。 母と姉が泣かないようにしているときに、泣いちゃいけないと思った。 あとは任せて帰る自分が目の前で泣いちゃいけないと思った。 でもさすがに葬式中、会社の社長さんや、父の実兄が知らない父の話しをしたときは耐えられなかった。 嫌いで自分から離れたはずなのに、後悔した。 本当は7月半ばに帰る予定でいた。 家族に紹介する予定だった。 結局生きた父は会えず、ばたばたした初対面。 そして姉の言った「お父さん楽しみにしてたよ」って言葉。 嫌がられると思った。帰って来いって言われると思った。 だから会わせるのを躊躇ったし、帰りたくないって言ってのびのびにしてた。 帰って来いって言われるのが嫌で、母などが「お前のせいで帰ってこない」って言われてるのを承知で帰らなかった。 電話しても出ようとしなかった。 すごく、後悔した。 父が、母が、原因で家を出たとはいえ電話くらい…もっと早く帰っていれば…って。 親戚のおじさんが「楽しみにしていたから、早く変えよう(ペンキを)としたんじゃないか」って言葉。 7月に帰るって言ったから、楽しみにしてたから、ぼんやりとしていつもと違う手順にしたんじゃないか。 殺した原因は自分じゃないかとも考えた。 姉は「お前だけのせいじゃないよ」と言ってくれたけど、やっぱりしんどかった。 そのとき父が大事にしていた犬の体調が悪かったのもある、と。 最近ずっと考え込んでいたっていうから、やっぱり自分に原因があるんじゃないかって責めずにはいられなかった。 母や親せきの前では言えなかったけど、姉の前でだけは言えたこと。 昔から姉にだけ言えることってのは割と多かった。 父は躾と称して暴力を振るったりもしたから、姉と一緒に布団に隠れたりしたことがあるからかもしれない。 殺されると思ったことだってあった。 でもそれでも涙って流れるんだって。 今でいう虐待って言われることもする父だったけど、来てくれた人、泣いてくれた人が多かったことに驚きを隠せなかった。 そして多ければ多いだけつらかった。 親戚のおじさんは「お前が選んだ人はいい人だな」って言ってくれた。 嬉しかったけど、悲しかった。 死ぬ前にお父さんにも言って欲しかった。 多分、なんだかんだ認めて欲しかったんだと思う。 家を出ることとか、いろいろなこと。 何かと反対する人だったから、反対されるかもってのばしのばしにしてきたこと。 だからもう認めて貰えないって遺体を前にして気付かされたから耐えられなかったんだって。 親を前に素直になんていれない自分がいたから、きっと表面上はなんてことないって顔してたかもしれない。 でも親に認められるって、簡単なようで出来ないんだなって思った今回の出来事。 十数年前に言われた、「子供なんかいらなかった」「産まなきゃよかった」って言葉は何年経っても消えなかったけれど。 面と向かって言えなかった言葉くらい、ブログでは吐こうかなと思います。 お父さんへ 親不孝な娘でごめんなさい。 いっぱい生意気言いました。 お父さんが嫌で、いっぱい反抗もしました。 お父さんの死があり、遺体と直面してたくさんの記憶がよみがえりました。 いい思い出も嫌な思い出もいっぱいあったけど、これからは一緒に思い出を作ることは出来ないね。 今月、あと10日でお父さんの誕生日です。 本当はもっとゆっくり決めて行こうかと思っていたけど、いろんな人と相談してお父さんの誕生日に籍を入れることにしました。 もうこれからは親孝行も出来ないから、と急に決めて相手方の両親などに迷惑をかけたと怒るかもしれません。 でも多分これからも実家で永住することもないだろうし、もう居ないお父さんへの親孝行が見つからなかったから。 誕生日に籍を入れることで、今回思った気持ちや今回起こった事故など忘れずに留めておこうと思ったのもあります。 お父さんのことを忘れないために、っていう想いもあります。 決して好きだった、とは言えないお父さんでしたが家を出て何年も経った今死んだ人に好きも嫌いも関係ないなって思えるようになりました。 認めて欲しいこともたくさんありました。 今思うと会えなかったときにあったたくさんのことを話していれば、と思う日もありました。 たくさん悩んで悔んで、苦しむかもしれませんが忘れずにいたいと思います。 秋田の空で、お母さんとお姉ちゃんをお願いします。 籍を入れたあと、証明書が貰えるらしいので仏壇にあげにいくね。 今までありがとう。 産みたくなかったかもしれないけど、育ててくれてありがとう。 そして、生きてるときに言ってあげられなくて、ごめんなさい。 PR
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いつも支えてくれてありがとなー!
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>>のぃたん
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